白紙のページに栞を差す
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前回の卒業は2024年の4月に遡る。あれは突然のお知らせだった。Twitterでお知らせを見た時は、呼吸の仕方を忘れてしまい酸素の足りていない脳で卒業について思考をしていた。はっと思い出したかのように息を吸ったら、これまでの思い出が一気にフラッシュバックしてきた。今回の卒業発表でも呼吸が止まりかけたが、すぐに息を吸えた。一度経験していたからかもしれない。
大須からの卒業の日は、友だち2人と一緒にお店に行ってノンアルコールのスパークリングワインで乾杯した。既に大須から離れるということは聞いていたので、新たな門出に乾杯できて一抹の寂しさはあるものの嬉しかったという記憶が残っている。帰る時には地球も悲しんでいたのか雨が降っていて、イベントのPOPを持ち帰る時に服の下に隠しながら家に帰ったことを今も覚えている。それから2年以上が経ち、今度は秋葉原での卒業の日となった。この日の秋葉原は、ほんの少しでも油断したら涙がこぼれてしまうような空模様だった。結局、涙をこぼさずに一日を終えられたのは、地球も彼女の卒業イベントに慣れていたからだろうか。
このイベントは僕にとって3年半前の忘れ物を届けてくれるようなイベントだった。ゆらのちゃんが大須にいた時は、メイドカフェでの彼女の卒業イベントはなかった。そのことが心残りとしてあった。コンカフェの卒業は急遽ということもあったが、プチイベントという形で無事に迎えられたので、その心残りはなくなった。なくなったはずだった。だけど今回のイベントを過ごす中で、魚の小骨のようなつっかえがすっきりと無くなったような気がした。やはり、僕の中ではメイドカフェでの卒業にわずかばかりの未練があったみたいだ。
未練の正体はステージだった。大須のメイドカフェ時代にはゆらのちゃんはよくステージでパフォーマンスをしていた。さまざまな楽曲に合わせてダンスをしているのをよく見ていた。その時はそれが当たり前だったが、コンカフェへと場所が移るとステージでのパフォーマンスの機会はなくなった。お話をする時間はコンカフェの方が長くなったが、やはりステージがないということはゆらのちゃんにとっても、そして僕にとっても失われたものの象徴だった。今回のイベントでのステージを見て、僕はこの姿を見たかったんだと気付かされた。さらにもう一点、コールができるという点も大きかった。以前はコロナ禍ということもあり、コールができず手拍子でゆらのちゃんを応援していた。それが今回は声によるエールが送れる。僕はめったにアイドルのライブには行かないし、行ったとしてもコールはしていない。以前、大須のメイドカフェがコールを解禁した際にはコールをしていたが、その頃からは2年以上が経っていた。この機会がゆらのちゃんにコールできる最後のチャンスかもしれないと思うと喉に力が入った。慣れてないことはするもんじゃないとはよく言ったもので、上手なコールはできなかった。だけど、ゆらのちゃんに向けて初めてコールができて、長年閉めていた窓を開けた時のような清々しさが生まれた。
卒業イベントが素敵なものになったのは、ゆらのちゃんの頑張りはもちろんのこと、彩ってくれたサポートメンバーのおかげもある。ゆらのちゃんとのステージを今の最高にしてくれた彼女たちには感謝しきれない想いがある。ゆらのちゃんの秋葉原での出会いの結晶がここにはあった。あもさんはサポートメンバーとして、初めてステージで1日3曲をやりきったそうで、緊張から解放された彼女の表情はとても生き生きとしていた。かなみんさんはステージでのパフォーマンスの準備について、学生のようだったと表現をしていた。ステージがあったことで、ゆらのちゃんと一緒の青春を送っていたのだろうなと思う。そして、まめこさんは要所要所で涙を流していて、ゆらのちゃんのために号泣してくれる子と出会えたんだねという親心にも似た優しい気持ちになれた。何様目線ですかと言われそうだがそれでも伝えたい。ゆらのちゃんと出会っていただき、本当にありがとう。
僕はゆらのちゃんというドキュメンタリーをこの4年間で見てきた。良い時もあればそうでない時もあった。変わりゆく姿の中に変わらないものがあった。課題を乗り越えて成長し続ける姿があった。これからもそれが目に見える形であれ、そうでないであれきっと続いていく。ゆらのちゃんという物語の続きを、白紙のページに栞を差して待ち続けたいと思う。